「自転車を買って」(00.7.23.)
「るんるるんるるん走ぃ〜るっ、るんるるんるるん走ぃ〜るっ、るんるる…わーっ!」
毎度お騒がせしております。
自転車を手にして早2ヶ月半が過ぎました。購入後1〜2週間は、買えたことと乗れたことの嬉しさで一日に
何時間もペダルをこぎ、こんな楽しいものを知らなかった今までの数十年間を悔やみつつにやにやと船橋の空の下を
走り回っている次第であります。最近は急激に暑くなってきたため、5月の頃ほど頻繁には乗ってはいませんが、
乗れるようになったからといって夢中になるあまり、体の一部、尾てい骨の近くにありサドルと常に接している部分(つまりおしり)
に水ぶくれを作る頻度で乗りまくるようでは、健全な社会生活に影響が出始めるような気がするのでちょうど
よかったのかもしれません。これは神の見えざる手?そうじゃないとしても世の中はうまくできているものです。
いっちょまえに前進できるようになって気づいたことがいくつかあります。これらは凄い発見ですので、ぜひこのページを見に
来てくださるみなさんに伝えなければという使命感でここにかかせていただきます。もし何かの研究論文で下記の発見と
類似したものが万が一発表されているようであれば、ご一報ください。
@漕がないと進まない
走り出すとき、えいっ!とペダルを踏み込み、スピードに乗ってぐんぐんと前に進み出します。ちょっとした坂道や
曲がり角でスピードを緩めた後は、普通より力を入れて漕がないと止まってしまうし、下り坂では逆にスピードが出過ぎる
ため、ちょこちょこと後輪のブレーキをかけながら進まなければならない…等、自転車を運転するときには気にすべきことが
たくさんあるのは分かってきました。しかし、道が平坦・通行人もいない・天気も良好・風そよそよ、と条件がそろって
考え事などし始めると、ペダルを漕ぐのを忘れ、自転車が止まりそうになるのです。散歩の時には足を動し忘れたりは
しないのになぁ。無意識で焦げるようになるまで漕ぐべきなのでしょうか、難しいものです。
A曲がるとは、ハンドルを曲げることにあらず
前進が出来るようになってもしばらく私を悩ませ続けたのは、安定した直進とコーナリングでした。
自分ではまっすぐに進んでいるつもりでも何故か電信柱に寄って行くわ、車道の中央に出ていこうとするわ、もしや天性で
危険行為をするようにできているのでは、と思うことしばしば。しかし思う方向に曲がろうとする時にはうまくそちらに向いて
くれず、無理にハンドルを曲げるとグラッ…。なぜ?なぜ?私は直線をよろよろ進むだけの自転車乗りにしかなれないの???
しかし自転車を降りて、通り過ぎていくライダーたちを見つめていると、答えはすぐに出ました。みんな車体を傾けて
ゆったりと角を曲がって行くではないですか。つまり傾けば曲がる、傾かなければ曲がらない…直進の極意もここにありました。
曲げると曲がらない、しかし曲がろうとせよ−−−なんだか禅のようではありませんか。
B段差は横登りできない
自動車が車線変更をするような気持ちで、車道から段差のある歩道へ上ろうとしてしまった私は、その行為の数秒後、
コンクリートの地面とこんにちわしていました。コンマ数秒ですが空を飛べた気もします。どうやら自転車の車輪は、真横への
対応を考えて作られた物ではないようです。数年ぶりに「擦りむいた膝」を見ることも出来ました。
短期間とは言え、生活をともにしていると愛着がわいてきます。先日○ャスコで買い物を済ませて駐輪場に戻ると、
なんと愛車が横倒しにされているではありませんか!無理な止め方はしていなかったはずなのに、こんな仕打ちを受ける
とは…。「ごめんなさい、目を離したお母さんが悪かったわ、いつか敵は討ってあげるからねぇぇぇぇぇ」とドラマの1シーンを
想像して楽しんだ挙げ句、上記Bの時にはもっと酷い衝撃を喰らわせているという事実を思い出してしまい、人間の身勝手さを
思い知らされるのでした。自転車って素晴らしい。さぁみなさんも。
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